CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< June 2020 >>
CATEGORIES
RECOMMEND
剣太の風
剣太の風 (JUGEMレビュー »)
キャメルンショップ
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

キャメルンblog

空羽ファティマからメッセージ
<< ザ孝雄 85歳おめでとう!! | main | ブックカバーチャレンジのバトンが回ってきた >>
サハラ砂漠に行かなかったら今の私はいない
0
    【サハラ砂漠に行かなかったら 今の私はいない】 「ファティマ」というニックネームをもらった サハラ砂漠。27歳の時に半年暮らした経験は それを書いた本が教科書に載り 学校から講演とか頼まれてラジオ番組とか、持てるようになっただけではなく 日本とは全く違うそこで学んだ 泣いて笑った全てが 私自身の人生の転機になり 毎日乗っていた ラクダのキャメルンシリーズを書く基礎になったので 来年もこの投稿を自分が読み返せるために、去年の投稿だがシェアしておきたい。
    ……………………………
    「転ばないようについ子供に注意してしまいがちだけど、もし転んでも自分で立ち上がれるように育てるのも大事だ」と思いながら子育てをしてきた。 ‥‥‥先日 子供の頃の自分のアルバムみたら母が書いたこんな言葉を見つけた。 「この丸太はママの背より30センチ位高いのですが1人でどんどん登ってしまいます。 女の子でもある程度何でもやらせたい。 間違ってケガしたらどうすればケガしないで上手に出来るかを教えなければいけない」 そーか。母はこんなふうに、私を育ててくれたのだな。。 …………………………………………… 私は世界35カ国を20代に旅してきたが 今思うと親に 心配はされたが、反対されたことはなかった。 はじめての私の冒険の旅は北海道だった。 高校一年の夏休みに、「これからバイクの免許を取って北海道に1ヶ月旅する」と言ったら その時だけは 反対されて電車での旅になったけど。 …………………………………………… そして 携帯もないバブル期。華やかな東京の生活を抜けてでサハラ砂漠に行った。 砂漠の村に 一つしかない電波は悪いが貴重な電話で やっと、やっと通じた実家にかけた電話で、 父に「そっちの番号は何番だ?」と聞かれ 「8」と答えると、「8の次は?」と言い「8!ただの8!」と伝えるだけで、電話は切れてしまった、、。 3日もかかって 何度もトライして、やっとやっと、ようやく通じた電話だったのに。。(>_<)(≧∀≦) ‥‥‥それ以来 旅先からからは 電話はしない。 、、、、、、、、、、、、、、、、 サハラ砂漠に向かうには、アトラス山脈の細い山道をバスで走った。 窓の外は 深い崖の下にゴロゴロ転がっていた物は 道から落ちた古いバス。 中には引き上げられない白骨化した遺体があるらしい。 いつ、このバスが落ちてもおかしくないガタガタの細い道。 怖くなっていた私の足元、 バスの床に何か水が流れてきた。 「なんだこれ?」 、、、後部座席をみると、羊が乗ってた。それは羊さんのおしっこだった。^_^; f^_^;) ははは、そーか、おしっこか。。と笑った。 心配しても しなくても、バスは落ちるときは落ちるのだ。 心配するだけ、無駄だと悟り ガタガタ揺れてホコリだらけのバスの中で私はあきらめて眠りについた。 、、そんな命がけの旅をたくさんしてきて 絵本作家の今がある。 人生は旅だ。冒険だ。 幼き日 公園で この高い丸太に 登らせてもらっていた私だから、 サハラ砂漠まで行けて 現地の民と生活まで できたのかな? 電気もトイレもない生活を砂漠のど真ん中で共にした彼らとの暮らし。 本当の豊かさとは何か?を体で学んだ日々。。 「ファティマ」というペンネームは、その時につけてもらった名前。(このサハラでの、体験記を書いた本は高校三年の国語の教科書に12年間載った) そんな私が書く 、顧問の先生に死に追いやられた 剣太くんの本は、 砂漠に行くより勇気がいった、心の冒険だった。



    | - | 10:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









    トラックバック機能は終了しました。