CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>
CATEGORIES
RECOMMEND
剣太の風
剣太の風 (JUGEMレビュー »)
キャメルンショップ
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

キャメルンblog

空羽ファティマからメッセージ
<< 空羽(くう)ファティマコラム「人はそれぞれ」はしもとランド98話 | main | 311です。 >>
新島学園の宣教師、ベーケン先生の葬儀
0
    > 母校 新島学園の英会話と宣教師 ベーケン先生の葬儀に行ってきた。 「カルイザワ」日本語で知っていたのは たったその一言だけだったということを、今日の葬儀で聞いて驚いた。 その一言だけを頼りに 「軽井沢」行く途中の安中、にあるキリスト教 新島襄の教えを伝える母校 新島学園にたどり着いたという宣教師のベーケン先生。 その頃の日本はテレビもない戦後の時代。 言葉も話せない異国にキリスト教を伝えるために やってきてくれたその勇気に 頭が下がった。 それを聞くとどんなに、勇敢なアメリカ人かと思うかもだが、 「個人愛唱の賛美歌」といい今日の葬儀に歌った賛美歌は、 「我が心は定かならず 吹く風のごとく絶えず変わる 。主よ御手持てひかせたまえ 、、」 「我が力は弱く乏し 暗きにさまよい道に悩む、、」など 不安になったり迷ったりしながら、必死に 神様の道具 として働こうと自分を支えて頑張ろうとしただろう、当時のベーケン先生の苦悩が偲ばれた。 私の知っているベーケン先生は、もう日本に来て何年もたって、、 ニコニコして、ちょっとお茶目で、 〇〇デショォ?という口癖の、 マイペースな先生しか知らなかったから 日本に来た当初のそんな不安な時代や、ドロシー奥様がお亡くなりになり、「妻は天国にもういて、ここにはないから」と言ってご遺体と、その晩は一緒には寝ないと言ってた気丈なベーケン先生しか知らなかった。 でも、そのあと寂しくてかなり参っておられたことを今日の牧師様のお話で知った。 私たち生徒の前で は、いつもお元気だったから。 奥様ドロシーさんが癌で亡くなってしばらくの間、 寂しいだろうと、友達と毎週水曜日に夕飯を お宅に作りに行っていて、よかったなあと、その話聞いて思った。 作ったメニューはほとんどスパゲティで、ベーケン宅の食品庫にある珍しいケーキミックスとかに感動してたっけ。 そのあとは新しい奥様恵さんが、ベーケン先生を本当に支えてくださったのだなとしみじみ思ったのだった。 恵さんの、 明るい笑顔が寂しかったベーケン先生をずっと支えてくれていたと思う。 いろいろと知らなかったお話をきき、 「神の御意志ならば、」 と何も知らない、誰も知らない日本にいきなり来て頑張ってくれたベーケン先生に改めて、感謝した。 10代の私たちを毎年アメリカに連れて行ってくれ、クリスチャンの家庭に泊めてくれて、 たくさんの貴重な経験をさせてくださったことは、 多くの新島生の心にきっと強く残っているし 私もあの経験がなかったら、 英語クラスは5段階のうちの真ん中の、Cだった私は 英語が「コミニュケーションの手段」だと気づかないまま、英語はただの「勉強」だと 思っていたかもしれない。 とても親切にしてくれたホームステイの家族たちに、 伝わらない英語しか話せない自分が悔しくて泣いたあの日。 「英語を 絶対に 話せる自分になろう!」と誓ったあの日。 そのあと 私が「人と繋がる手段としての 英語」を学び 35カ国の冒険の旅に出れたのは あのベーケン先生が連れて行ってくれたアメリカがあったこそ、だっただろう。 そうだ。そのあと、バブル期の東京から モロッコに行きそこからサハラ砂漠に入り、、 電気もトイレも水もない生活をして 今までの価値観がぶっ飛び 「ファティマ」という体験記を書き 、出版して それが高校三年の国語の教科書に載った事が、私の人生の転機になった。のだった。 その第一歩をベーケン先生は作ってくれたのだと 思った。 ああ、そうだ。そうだった。 …………………静かに横たわる先生のお顔は穏やかで幸せそうだった。 ベーケン先生、本当にありがとうございました。 3期生の父、タカオからはじまり、兄弟3人とも 英会話の授業だけではなくアメリカに連れて行ってもらい大変お世話になりました。 父は酔っ払うと英語を今も話します。まだ日本語話せなかったベーケン先生に教わった英語だそうです。 新島のPTA会長している弟が出してくれた、お花の家族の連盟の名前を見て、 3期.30.32.35.... 「ああ、ベーケン先生にはこんなに 家族のみんなでお世話になったのだなあ、」と 実感できた。 これってすごいことだ。 それはこんなに長い間 新島で頑張ってくださったっていう証。 そして キリスト教式の葬儀に出てみて、 賛美歌というものは、甲子園の校歌みたいに、 知らない歌でもなんとなく 歌えるというのがすごいと思ったのでした。 それと、「アーメン」と言った後に静かにオルガンが流れる時間は、久々に聞いて、、心にしみてなんかとても、いいと思った。 新島学園での6年間、毎日あった礼拝で、 こんな時間をベーケン先生と共に 過ごしてきたのだなあ、、って懐かしく思いました。 神様の恵みがベーケン先生と残された御家族と共にありますように。 天国では こんなに頑張って神様のお手伝いを長い間してくれたベーケン先生だから、 特別に神様に 強く 強く抱きしめて迎えられることでしょう。。。 アーメン。



    | - | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









    http://blog.camelun.com/trackback/1409575