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空羽ファティマからメッセージ
<< 知ってほしい大川小のこと | main | 大川小の哲也くんの必死な訴えを受け止めて >>
大川小で唯一生き残ったA先生、教師としての誇りの為に、、。
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    9/21に大川小に行くにあたり、あらためて大川小について、いろいろ調べている。時が経ってみなさんの記憶から震災のことも、生徒のほとんどが、亡くなり先生もひとりしか助からない大惨事の大川小のことも、記憶から薄れてきているとおもいます。けれど、今回の川の氾濫の映像で津波を思い出したであろうみなさんも、いるとおもうので、 ぜひ震災のことを心に思い出してください       大川小の遺族 によく、テレビにも出ている、 只野英昭さんがおられる。そう、74にんの生徒がなくなって、たった4人生き残った生徒、哲也くんのお父さんだ。
     彼は、その父と妻、そして当時、大川小学校3年生だった長女未捺(みな)ちゃんを亡くしました。当時、大川小学校の5年生だった長男の哲也くんは津波にのまれながらも奇跡的に助かり、現在は哲也とお母さんと3人で暮らしているそうです。

    只野さんは、10人の先生が亡くなって、たった一人生き残ったA先生の証人尋問を採用して頂きたいと強く望んできましたが、かないませんでした。
    只野さんは、言っています。「本来、最も安全な場所である筈の学校で、子供たちはどうして死ななければならなかったのか、亡くなった子供に、そして、津波を被っても生き残った哲也にきちんとその理由を説明できないでいることの歯がゆさと、苛立ちと、そして怒りに悩まされ続けています。
     
    あの利発で機敏な子供たちなら、津波が来ると聞けば、日頃から馴染みのある裏山を熟知していましたから、必ずや一目散で駆け上っていたものと確信しています。
    そんな子供たちをどうしてこんな悲惨な死に方をさせてしまったのか?

    実際に津波が到来する一部始終を現場で目撃したA先生が居ます。しかも、A先生は、教務主任と言う、いわば、校長、教頭と並ぶ癸海領場にいらした先生です。そのA先生が、地震発生直後に何を目にして、教頭先生に「山に逃げよう」と訴えたのか、そして、いつの時点で子供達を校庭から避難させることになったのかなど、A先生が心底から真実を述べ、私たちの疑問に答えてくれたならば、亡くなった子供たちに命を落とす理由や原因を報告できますし、そのことで私たち遺族は癒され、そして子供たちに赦しを乞うことができると思うのです。
     ところが、残念なことに、学校、市教委、石巻市、宮城県らは、「裏山の木が倒れていた」などと下手な弁解に終始し、私たちの前からA先生を遠ざけ、今も匿い続けています。

    そうである以上、私たちにとって、今、真実を知る唯一の方法は、裁判で、A先生から証人としてお話を聞くしか他に方法がないのです。そうした思いから私たちは裁判を起こしているのです。
    実は、私たちは、裁判の場でA先生から話を聞くよりも、もっとA先生が話し易い方法でA先生と接触ができたらいいとも思っていました。そして、そうした対応を、いずれどこかで市教委や石巻市側が設定してくれるものと密かに期待していました。
    しかし、5年が経とうというのに、そうした動きも全くないどころか、日増しにA先生が遠ざかっていくように思えてなりません。
     私たちは、A先生が市教委や石巻市にいつまでも匿われながら一生を終える姿など見たくありません。むしろ、A先生が子供たちの笑顔に囲まれながら、再び教師として社会復帰する姿が見れるよう、心から望んでいます。
    震災前、長女の未捺も哲也も理科の授業でA先生が教えてくれた授業内容を帰宅してから毎回楽しそうに話してくれていました。別の遺族の息子さんは、ノート一杯にA先生の似顔絵を書き、A先生に楽しかった小学校生活のお礼を述べる寄せ書きをして渡す準備をしていたと聞きます。震災後、他の遺族の方々からも、どの学年の子ども達もA先生の授業が楽しかったと話していたそうです。
    それほどまでに子どもたちに慕われていたA先生をいつまでも社会復帰させずに終わりたくはないのです。そして、子供たちがあんなに慕っていたA先生に真実を語ってもらい、亡くなった子供たちに「遠藤先生から、こんな話があったよ。これが原因だったんだよ」と報告したいのです。
    A先生は「山へ逃げろ」と発言していたのですから、A先生は間違っていなかったのではないでしょうか?。だから、皆の前で「どうしてそれを行動につなげられなかったのか」を話して欲しいのです。
     私たち遺族は、A先生が私たちの前で真実を語ることこそが、A先生が立ち直る唯一の道と確信しています。また、哲也もそれを強く望んでいます。
    哲也は、震災後、あの日あった事実をありのままにメディアなどに語り続けてきました。当初、私は、津波被害に遭って九死に一生を得た我が子をメディアに出させるべきか悩みました。『何もしゃべるな!黙っていろ!』と言いたいというのが本当のところでした。けれど、インタビューに一生懸命答えている息子の姿を見た時に「これでいいのではないか」と実感しました。それは、哲也自身が被災当時を反芻し、強くなっていることが実感できたからです。
    A先生も、同じように、当時の事実を語ることを避けるのではなく、真実を語ることがA先生に必要なことではないでしょうか?。
     もしもA先生が、今なお、私たちの前に現れることに心理的抵抗があるというなら、A先生の信頼できる使者の方を私たちのもとに使わせる方法もありましょうし、私たちの代理人の先生にアクセスをしてもらうなど、A先生が心から真実を語り得る方法を共に考えてみたいとも思っています。
    是非とも石巻市の代理人の先生には、私のこの発言をA先生に届けて頂きたいと思います。そして、A先生が私たちの前で真実を語る機会を作ってください。それが私たちの遺族の心からの願いです
     長男・哲也は、高校生になりました。哲也はA先生が大好きでし た。そして、哲也は「悲劇をくりかえさないで…」と言って、校舎の保存を訴えたり、真実が明らかになることを強く願っています。」
    、、、、
    と。只野さんの言葉です。

    私も同感ですので、この言葉を只野さんのお許しを得てブログにのせさせていただきました。
    こんなに生徒に好かれるいい先生だったA先生ならば、本当はきっと、本当のことを公の場に出て話したいに違いない。
    いろんなしがらみや葛藤はあるだろう。立場やらなんやら、はあるだろう。。守るべき家族もいるだろうし、ものすごく難しい立場にいるのに、違いない。
    でも、でも
    である。。人間は亡くなるときに「ああ、いい人生だった」と心から言えるかどうかが、一番大切ではないか、と私は信じている。
    A先生.どうか、生きていてください。どんなにつらくても、どうか生きていらしてください。そして、公こ場に出て本当のことをお話しください。子供たちの為だけではなく、教師としてのあなた自身の誇りの為に。。。

    そうすることで、一番救われるのは
    他ならない
    あなた自身だと思います。。。

                                             以上

    &#127796;&#128043;&#128043;空羽ファティマ&#128042;&#128042;&#127769;&#11088;&#65039;
    | - | 17:47 | comments(3) | trackbacks(0) | - |
    ご本人名前が一箇所載ってしまっています。直ちに直すべきです。
    | 匿名 | 2016/10/25 5:23 PM |
    ですね、名前出てるじゃないか!と思ってびっくりしました。
    わざとなのか?と思いました。

    それだけではなんなので…

    先生も言いたいことはたくさんあるのではないかと思います。
    先生だって子供達を死なせたくなかったに違いないでしょうし、自分の子供を亡くした方同様、かわいがっていた何十人もの教え子を失った気持ちを考えると、今もって口を開けなくても仕方ないのではないかな、と思ったりもします。

    風化してほしくはないと思いますが、生き残った先生に話してもらうのは、酷な気がします。
    | ななしさん | 2016/10/30 2:07 PM |
    生き残った先生が校長(地震当時学校に不在)に宛てた手紙
    http://kaimomo119.blog.fc2.com/blog-entry-1568.html

    ↑このページにたどりつきました。
    読んでみて、やはり、生き残った先生に話を聞いては気の毒に思えました。

    よその記事では、山に避難しようとしていた教頭に対し、地域の方が反対したみたいなのも見ました。

    みんな、全員助けたかったし、助かりたかったと思います。
    結果的に悪い方に転んだだけで…
    | ななしさん | 2016/10/30 2:36 PM |









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